2012年10月20日土曜日

オランダ認知症村ニュースから 生きる現場を見てきます

NPO法人ピュアの藤田敦子です。
オランダへ高齢者施設視察旅行へ行くので、いろいろとネットなどで情報を集めています。
下記は、ネット友達からの情報です。記事を張り込んでおきますね。

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地域全体が介護ホーム オランダの幸せな認知症村

アムステルダム郊外にある介護施設「ホーゲヴェイ」には、適切な判断や身の安全を自分で守ることができなくなった認知症の老人たちが暮らしている。この施設がいわゆる「老人ホーム」と大きく異なるのは、スーパーやカフェ、美容室などが用意された“小さな村”のような作りとなっていること。塀で囲まれてはいるものの、内側では患者が自由に出歩くことができる。

オランダの一都市の縮図ともいえる村を「再現」した介護施設は、欧州全土を探してもここだけ。2009年のオープン以来、欧州のみならず、世界中の介護従事者たちの注目を集めている。スイスには近く、同施設を手本にした介護施設も建設される予定だ。

現在の入居者は152人。建物は「田園棟」や「都会棟」「クリスチャン棟」「高級棟」など、それぞれの好みやライフスタイルに合わせて選ぶことができる。入居者たちは、互いの部屋を行き来することもできるので、一日中一人でベッドの上で過ごす、なんてこともない。

迷子になっても介護者が家まで連れて帰ってくれるし、スーパーのレジは財布を忘れても通してもらえる。アップルピューレの瓶を大量に持ち帰ってしまったとしても、とがめられることはない。介護スタッフが後でちゃんと返しに行ってくれるからだ。

85歳のイヨ・ベルーフは数年前から「都会棟」に暮らしている。同じ棟で暮らすのは、アムステルダムやその近隣の町で銀行員や企業家として働いていた人々だ。彼らは自分で洗濯物をたたみ、夕食のポテトの皮を自分で剥(む)く。どの棟でも毎日それぞれが料理を作るので、夕方になると、おいしそうな匂いが漂ってくる。

「ここには休暇で来ているのよ」と、ベルーフ。とても幸せそうだ。

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ここには行きませんが、同じように、認知症の人などが、いきいきと暮らす場を、見てきます。「ホスピス」にも行きます。また、オランダと言えば、「安楽死法制化」の国ですから、オランダ安楽死協会へも行きます。また、最近、話題の訪問看護事業者ヨス氏にもお会いできるようです。

社会の仕組みは、その国の文化が色濃く出ています。断片的に伝えられていることを、聞き取りをしながら、しっかりとみてきたいと思います。

日本にだって先駆的な志をもった人たちによって、すてきな「ケア」が出来ています。でも、衝撃的なニュースにもならないことは、広まっていかないのかもしれませんね。
また、どんなすてきなことも、望まなければ、大きな声になっていきませんよね。

つたない文でも、書いていくことって大事。頑張ります\(^o^)/

2012年10月14日日曜日

患者の「どう生きるか」を支えるエンド・オブ・ライフケア

NPOピュアの藤田敦子です。

今日は、千葉大学大学院看護学研究科エンド・オブ・ライフケア看護学の長江弘子教授をお招きして、第2回エンド・オブ・ライフケア講座を開催しました。参加者それぞれが死別体験を持っていたり、現在、ケア従事者として働いているピュアの会員で、長江さんからの自己紹介と参加者それぞれの体験談を聞き、「自分らしい生き方」を考えて行きました。3時間があっという間に過ぎていき、死生観を高めあうことができました。

エンド・オブ・ライフケアとは、「診断名、健康状態、年齢にかかわらず、差し迫ったあるいはいつかは来る死について考える人が、生が終わる時点まで最善の生を生きることができるように支援すること」です。

この考えは1999年、香港で開催されたアジア太平洋ホスピス看護ケアネットワークの学術総会で、米国の医師フォーリー氏によって提唱されたことが始まりです。

フォーリー氏は、「人生の終焉は誰にでも訪れ、終焉の原因は病気のことが多く、しかも原因となる最近の病気の多くは長い経過をとる。そんな最期の日々の痛みや苦しみを十分に治療し、本人が望みどおりに過ごせるように支援すること」と言われたと長江さんは述べられました。

たとえば、70代、呼吸不全患者の終末期という考えを、70代、妻と娘2人がいる一家の主、会社役員、人生のしめくくりの段階を生きる男性とみて、支えていくことです。

そのためには、病気としてではなく自分の生の一部としてエンド・オブ・ライフについて考え、周囲の人、大切な人と語り合う文化を創り出すことが重要です。

今回のエンド・オブ・ライフケア講座は、NPOピュアとエンド・オブ・ライフケア看護学の共催で開催されています。

第1回 7月8日 あなたは、どこで、誰と、最後を過ごしたいと思いますか?

第2回 10月14日 自分らしい生き方、考えてみませんか

第3回 11月11日 アドバンス・ディレクティブ(事前指示)を考える
*オランダ高齢者施設視察報告(藤田敦子)あり

第4回 1月13日  題未定 ワークショップ含む

第5回 2月10日  題未定 ワークショップ含む

他に、11月24日(土)に千葉大学けやき会館で市民協働シンポジウム「あなたは最期までどのように生きたいですか?」を開催します。

今年度は、ピュア会員限定で同伴者は可能という形で開催しています。
自分らしく生きるとは、どのように生きたいかを考えることから始まっていきます。何をしている時が自分らしくいられるのか、そんなことをじっくり話し合っていくことで、患者自身の生きるを支える看護となっていくのでしょう。

2012年10月9日火曜日

がん政策サミット2012秋に参加して

NPO法人ピュアの藤田敦子です。

10月6日(土)~8日(祝)と、奈良県かしはら万葉ホームにおいて「がん政策サミット2012秋」が開催され、参加をしてきました。このがん政策サミットは、特定非営利活動法人日本医療政策機構市民医療協議会主催で年1~2回開催され、今までは、東京で開催されてきた。今回は奈良県共催という初めての開催でしたが、約110名の患者関係者、都道府県議会議員、行政担当者、医療提供者、民間、メディアの参加がありました。
今回の奈良での開催は、患者委員の馬詰さん、吉岡さんの強力な後押しがあり、たくさんの苦難を乗り越えての地方開催でした。このブログを借りて、お二人に、そして支えてくださった行政や議員の皆様、寄付を出してくださった皆様に感謝申し上げます。

今回のテーマは、「患者と地域に成果をもたらす県計画に仕上げよう」で、国会がん患者と家族の会から、尾辻秀久会長、梅村聡事務局長の挨拶から始まり、みんなで、タウンミーティング「地域に最適ながん診療連携拠点病院」へ意見を述べ合いました。議論された内容は、後日、公開されると思います。

私の拠点病院のあり方に関する考えとしては、標準治療が間違いなく提供され、地域に向けて緩和ケアの提供体制が整い、何より、施策のベースになる「がん登録」体制がしっかりとあることだと思います。「集約化」することと「均てん化」することを、どちらかにするのでなく、機能別に話し合っていくべきだと思います。提供する側の「連携」の考え方がばらばらでは、国民に理解できるわけがありませんから。がんになって治療をするとき、どんなふうに治療を受けていきたいのか、どんなふうに生きていきたいのか、大きなグランドデザインを描きながら、話し合われていくといいですね。

今回のがん政策サミットでは、門田協議会会長、岡田厚労省がん対策推進官、今井国立保健医療科学院統括研究官、宮田東大准教授、堀田国立がん研究センター理事長のお話を伺い、みんなで、第2次都道府県がん対策推進基本計画をよりよいするためにグループワークも行いました。4つのステークホルダーがそれぞれのグループに入り、話し合いをしていきましたが、とってもためになり、今後の千葉県での会議の中で、指標についての意見を提出しようと思っています。

最後の8日は、午前中は、アメリカのアドボケート ポーラ・キムさんによる講義をお聞きし、一人ひとり決意表明をして別れました。午後は有志による観光旅行に私は参加をしましたが、日ごろの疲れも取れ、他県の患者関係者とも意見交換をすることができ、東京で開催とは別の意味で有意義なサミットでした。

さて、梅村議員に政務官就任の御祝を述べ、がん末期の介護保険問題を進展させるために永田町へ行く約束も致しました。これは私にしか解決できない問題だからしっかりと考えていきたいと思います。千葉県の介護保険担当者のご挨拶はすでにがん対策担当と一緒に済ませています。現状を把握するため、市区町村担当者の声を聞くことからはじめますね。がんばります!