2012年8月31日金曜日

【日本在宅ホスピス協会】本日開会!小笠原協会会長挨拶

いよいよ、本日31日から9月2日まで、第15回日本在宅ホスピス協会全国大会in船橋の開催です。
31日は、会員向けのウェルカムパーティ
1日は、一日、教育講演、在宅ホスピス実践報告、遺族の体験談、分科会と続きます。
2日は、分科会報告の後、市民公開講座を行います。

市民公開講座は満席となりました。お申し込みをありがとうございました!
1日は、当日受付もございます。

全国大会については、こちらにて確認くださいませ。
皆様にお会いできますのを楽しみにしております。 大会会長 藤田敦子

*********ごあいさつ****************

 日本在宅ホスピス協会 会長 小笠原医院 院長 小笠原 文雄

 私が、日本在宅ホスピス協会会長を引き継いで、2回目の全国大会を迎えることとなりました。
 
 2年越しで準備されている、藤田敦子さん、髙木先生、永谷先生はじめ実行委員会の皆様には大変ご尽力いただきまして誠に有難うございます。この場をかりて御礼を申し上げます。
 
 今大会は、『地域包括で支える在宅ホスピスケア 〜最後の時を自分の家で自分らしく過ごしたい〜』という思いの実現に向けての講演会、研修会が企画されています。

 思えば協会創立のきっかけは、川越博美前会長や川越厚顧問方が、“在宅こそホスピスケアの原点。在宅ホスピスを広め、誰でも望めば在宅ホスピスケアを受ける事ができる社会にしたい。そのために、医療者だけでなく市民にも呼びかけたい。”というもので、毎回大勢のボランティアさんが大会を盛り上げていらっしゃいました。私もその思いを受け継ぎ、第15 回船橋大会は市民代表 藤田敦子さんに大会会長をお任せしました。千葉の地でまた新たな在宅ホスピスケアの形を示してくださることと大変楽しみにしています。
 
 私も、協会顧問の柳田邦男先生と「いのちの不思議さ 〜家をホスピスに〜」と題しましたシンポジウムでお話させていただきます。
 
 身体を壊し病院医師を辞め、在宅治療を始めて、がんの看取りの際「自宅だと何故人はこれほど安らかに旅立つことができるのか?」とカルチャーショックを受けて以来、20 年あまりたちますが、いまだに在宅緩和ケアの素晴らしさに魅了され続けています。

 文芸春秋6 月号に在宅緩和ケアをされている岡部医院の岡部先生が癌に冒され“余命10 ヶ月”と宣告された時「病院には生活がない。あそこは治って帰る為に患者がひたすら耐える場所。日常の生活が人の命や心を支える大切な働きをしていることが入院をしてみて思い知った」という実感をリアリティをもって語られています。
 
 是非、大会でこの思いを共有し、地域に持ち帰って、全国各地のレベルアップに努めていきましょう!!


2012年8月9日木曜日

社会保障と税一体改革に挑む厚労省香取照幸さん

NPOピュア藤田敦子、大学院生モードです。

◎介護保険の鉄人から社会保障の鉄人へ
「介護保険の鉄人」の称号を持つ香取照幸厚労省政策統括官(画像左)は、日本の社会保障を語る時になくてはならない人だ。ゆきさん(大熊由紀子教授:画像右)の『物語 介護保険』に最多登場するということは、要所要所で、必ず改革を成し遂げていることに他ならない。最近購入した荻島國男遺稿集『病中閑話』にも香取さんは寄稿している。今回、社会保障と税の一体改革のトップバーターからお話を伺くことで、より一層、改革の必要性を感じ、ジャーナリスト分野で学ぶ学生として講義の内容を私なりにまとめてみた(平成24年7月5日現在)。


◎社会保障と税の一体改革をめぐる問題
社会保障は、高度経済成長期である1960年~70年代に骨格が完成し、会社による正規雇用・終身雇用・完全雇用に守られ、皆保険・皆年金を達成した。給付の増加は、経済の成長により問題にはならなかったが、現在は、雇用環境が変化し、非正規が全雇用の34%(2010年)になっている。また、2015年には団塊の世代が65歳に達し、今後、医療や介護を必要とする後期高齢者の著しい増加、特に一人暮らしの問題が社会問題となっていく。支える側の弱体は大きく、合計特殊出生率は1.39(2010年)になっており、産み育てることのできる社会の構築が急務となっている。また、社会保障の給付が年金に偏っているため、世代間の不公平が起きている。そして歳出・歳入の変化も著しく、一般歳出の半分以上を社会保障が占め、その費用を賄うため、公債金(借金)が歳入の半分近くになっている。現在の状況は、太平洋戦争末期と同水準にあり、市場の介入などで経済の津波が起こると、私たちの暮らしが一瞬にして変わる危機的状態とも言える。

この問題を解決する為、一体改革は行われる。目指す将来像は、「社会保障の充実・安定化」と「財政の健全化」であり、この問題は一歩も後に回してはいけない問題でもある。 今回の改革で変わることは多義に渡る。年金は国庫負担2分の1の恒久化が大きい。幼保一体化の総合こども園の創設はならなかったが、内閣府が一元的に認定こども園制度等の改善を図り、子ども・子育て支援の強化を図る。また、在宅医療の充実、地域包括ケアシステムの構築、高額な医療費負担の軽減など、医療と介護の充実を図る。そして、年金制度の改善、就労促進や貧困・格差対策の強化、医療イノベーションを行うなど、様々な改革が行われる。

消費税を上げることにより消費が落ち込みことが心配されているが、社会保障と経済とは相互作用があり、雇用の創出や労働力保全機能が生まれ、経済の活性化につながることが期待されている。低所得者への配慮として、社会保障・税番号制度の導入を図っていく。簡素な給付措置は、消費税が8%となる時期から実施する(以上は7月5日現在の状況であり、今後、国会などで審議される中で内容が変わっていく可能性もある)。

◎理念を共有し、伝えていくことの大切さ
香取さんは、スウェーデンの中学校の教科書を例にとり、自助と共生、自立と連帯、助け合い、相互扶助、官と民、公と私について、日本の教科書は教えていない実態を伝えていた。また、「人間としての感性、共感できる心がなければ、いくら現場を歩いても、現場の人に接しても、現場の気持ちも喜びも苦しみも感じることはできない」「専門家がいなければ、現場の事象に振り回される」と、制度には理念があり、現場には実践があり、その二つは相互に支え合う関係だと述べていた。制度を作る側と実践する現場、そしてそれを国民にわかりやすく目指すべき方向である「理念」や「真実」を伝えていく役割がジャーナリストなのだと思う。

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講演資料1(PDF) 大熊由紀子教授HP ゆき・えにしネットより
当日追加資料「一体改革の現場で思うこと」(PDF)同上

9月21日追加資料
講演議事録をゆき・えにしネットの上段2列目「医療福祉の財源の部屋」で見れます!
★ 「社会保障政策転換の発信源として」(上)
社会保障・税一体改革の基本的考え方/2.社会保障改革のポイント
★ 「社会保障政策転換の発信源として」(下)
3.一体改革の現場で思うこと/4.閣僚による「全国行脚」/院生・聴講生との意見交換
内閣府官房社会保障改革室 内閣審議官(当時) 香取照幸さんの大学院講義録

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講義の後、昨年、デンマークへ行き感じたことを思った。デンマークでは、スウェーデンと同じく、「教育」をとても重視し、「自立」や「考える力」を養っていた。「貧困対策」に力を注ぎ、親の貧困が子に及ぶことがないように社会保障を充実させていた。在宅ケアと住宅政策が充実し、障害を持っても、病気をしても、自分らしく生きることが保障されていた。日本はとても豊かな国なのに、幸福感が少ない。

平成23年総務省統計局「家計調査」によると、二人以上の世帯の貯蓄現在高は、平均1664万円で、67.9%の世帯が平均を下回っている。全体の約1割である4000万以上の世帯が貯蓄全体の41.5%を占めている。また貯蓄は、金融機関が多く、生命保険なども含まれる。他国に比べて、持ち家が多く、住宅ローンなどの負債が減ったことにより、資産が高く感じるが、本当に自由に使える資金が高いかは不明だと感じた。国債の国内投資家だけが保有している現状が、もし崩れれば、銀行の倒産など、日本経済だけでなく国民の暮らしも危うくなってくる。

現在でも、持てる者と持たざる者との二極化が進み、在宅ケアの現場でも、お金がなく、介護保険で必要なサービスを利用できない人も出ている。がん患者の高額な治療費や病気を持つ人の雇用の問題も、命と直轄し、大きな問題となっている。また、今後の少子化を考えると住宅の売却は進まず、要介護で住むことが難しくなると、「住居」がなくなる人の増加が考えられる。低所得者に対しての住宅政策を今後進めていく必要を感じている。

大人になり自立できるまでの間、そして病気や障害を持ちながら生きること、高齢となりケアを必要としたり生活が困窮すること、誰もが起こりえることであり、そのために社会保障は存在している。そして互助の精神は、寄付や助け合いの文化も育む。日本人として生まれ、温かな人の輪の中で暮らし、最期の時に「いい人生だった」と思い亡くなっていける、そんな国にしていきたい。 自分ができることは小さいけれど、これからも「理念」を発信続けていこうと改めて思った。

2012年8月8日水曜日

【日本在宅ホスピス協会】全国大会船橋 後援・寄付等のご支援

NPOピュアの藤田敦子です。

平成24年8月31日~9月2日に開催される「第15回日本在宅ホスピス協会全国大会in船橋」は、多くの方のご支援により開催されます。ここに厚く御礼を申し上げます。

第15回日本在宅ホスピス協会全国大会in船橋(平成24年8月8日現在)

協会会長:小笠原文雄(小笠原医院院長、日本在宅ホスピス協会会長)
大会会長:藤田敦子(NPO法人ピュア代表、日本在宅ホスピス協会役員)
大会副会長:髙木恒雄(髙木医院院長)
実行委員長:永谷 計(板倉訪問クリニック院長)

主催:日本在宅ホスピス協会
共催:公益社団法人 船橋地域 福祉・介護・医療推進機構
後援:船橋南部在宅療養研究会

助成:公益財団法人正力厚生会助成事業

市民公開講座後援:
千葉県、船橋市、千葉県医師会、船橋市医師会、千葉県歯科医師会、船橋歯科医師会、千葉県薬剤師会、船橋薬剤師会、千葉県看護協会、千葉県社会福祉協議会、千葉県訪問看護ステーション連絡協議会、千葉県地域包括・在宅介護支援センター協会、千葉県社会福祉士会、千葉県医療社会事業協会、千葉県介護支援専門員協議会、船橋市介護支援専門員協議会、千葉県介護福祉士会、千葉県ホームヘルパー協議会、千葉県理学療法士会、千葉県作業療法士会、千葉県言語療法士会、千葉県栄養士会、千葉県民生委員児童委員協議会、千葉ヘルス財団、ちば県民保健予防財団、千葉県在宅ネットワーク、千葉緩和医療学会、医療・福祉ネットワーク千葉、千葉大学福祉環境交流センター、㈱千葉日報社、NHK千葉放送局、チバテレビ

ご寄付(団体):アステラス製薬株式会社、アボットジャパン株式会社、MSD 株式会社、エーザイ株式会社、大塚製薬株式会社、小野薬品工業株式会社、株式会社岩瀬歯科商会、グラクソ・スミスクライン株式会社、塩野義製薬株式会社、第一三共株式会社、大正富山医薬品株式会社、武田薬品工業株式会社、田辺三菱製薬株式会社、大日本住友製薬株式会社、中外製薬株式会社、日大第三外科同門会、帝人在宅医療株式会社、帝人ファーマ株式会社、船橋歯科医師会

その他、個人の方からご寄付、多くの企業・団体に抄録集への広告掲載を賜りました。厚く御礼申し上げます。
なお、平成24年8月8日現在を記載致しました。誤字脱字、修正等ございましたら、大会事務局へご連絡下さいませ。

大会事務局:医療法人弘仁会 板倉病院 地域連携室
TEL 047-436-0908 FAX047-432-8576 Email:hha15funa*gmail.com(*を@にして下さい)

2012年8月5日日曜日

【日本在宅ホスピス協会】全国大会船橋分科会④在宅リハビリテーション

セラピストの皆様へ

9月1日の日本在宅ホスピス協会では、セラピストの皆様のターミナル期における働きを話し合う場も設けています。維持期、回復期だけでない、ターミナル期における「リハビリテーション」の役割について徹底討論しませんか?
分科会全体は、こちらで確認ください。事前申し込みは、7月31日で終了しました。お問い合わせは、hha15funa*gmail.com(*を@小文字にしてくださいね)。当日も可能です。日本在宅ホスピス協会はこちらから

分科会④在宅ホスピスにおけるリハビリテーション
開催日時:9月1日(土)15:00~17:30
会  場:3階 大研修室C 321号
座長:千葉県立保健医療大学 健康学部 准教授 安部能成
基調講演:千葉県立保健医療大学 健康学部 准教授 安部能成
話題提供:1.東大宮訪問看護ステーション 作業療法士 佐治 暢
       2.医療法人社団愛語会 要町病院 リハビリテーション室 理学療法士・作業療法士 岩城 基
       3.のぞみの花クリニック 理学療法士 西尾玲子
翌日報告者:船橋市訪問看護ステーション理学療法士 松川基宏

基調講演:在宅ホスピスにおけるリハビリテーションの特色とは何か? 安部能成

 これまでの医学的リハビリテーションは、主として病院のリハビリテーション室での活動を前提として展開してきた。
 歴史的にみると草創期は、機能回復訓練による社会復帰が目的であった。したがって、退院後は自宅復帰よりも再就職の方が好まれた。次に機能維持を目的としたリハビリテーションに注目が集まるようになった。同時に、病院を含む施設のみならず、自宅・地域におけるリハビリテーションも注目されるようになった。さらに、がん対策基本法の成立・施行を受けて、ホスピス緩和ケアが焦点化されるようになった。患者さんのQOL向上のためには、御本人の希望に添うことが必要であり、残り少ない日々を自宅で過ごすことを希望されるなら、その実現のために努力する必要がある。

 しかし、リハビリテーションは機能回復、または機能維持を目的として展開してきており、早晩機能低下の避けられないホスピス緩和ケアの患者さんに、どのように介入すべきか、まだコンセンサスはない。しかも、このことを在宅で行うのは、まだ少数にとどまっている。

 だからこそ、今回の日本ホスピス協会の全国大会では、在宅リハビリテーションに求められることを明らかにすべき好機である。緩和ケアで始まるとしても、死亡で終わることの多いターミナルケアにおいて、あるいは機能低下の状況で、リハビリテーションは何をなすべきか?

 予後の迫る中、患者の希望を、たとえ小さなものであっても実現することが求められる。残された時間が少ないので、その日その場での対応を求められる。最終場面で突然登場するのは、患者の心理機能低下のために困難であるなら、いつ・どのようなタイミングで介入すべきか、話し合うべき問題点は多々ある。患者との個人的関係に終わることの多かったリハビリテーションは、患者家族とどのような関係を持てばよいのだろうか?

 原疾患の治癒は望めなくとも、退院できること。自宅での生活を少しでも維持すること。たとえば、入浴し易く、食事し易く、トイレに行かれ易く、趣味の活動をし易くすることに援助するためのリハビリテーション活動。

 そのような在宅リハビリテーションの実践を提示し、必ずしもターミナルケアに特化していない、在宅リハビリテーションの経験者が職種の違いを超えて集い、その問題点を話し合いあい、より良いターミナルケアとしての在宅リハビリテーションに寄与したい。

2012年8月3日金曜日

【日本在宅ホスピス協会】全国大会船橋分科会③がんターミナル期の褥瘡ケアのあり方

9月1日に開催される日本在宅ホスピス協会全国大会in船橋では、午後に分科会をします。
今回は、「分科会③がんターミナルケア期の褥瘡ケアのあり方を考える」について紹介します。

開催日時:9月1日(土)15:00~17:30
会  場:2階 大研修室A 221

分科会③ 座長:要町ホームケアクリニック 院長 吉澤明孝
1.船橋市立医療センター(皮膚・排泄ケア認定看護師) 大塚眞由美   
2.本町在宅介護センター 鈴木ひとみ
3.セントケア東京(株)セントケア訪問看護ステーション文京管理責任者 平野綾子
4.板倉訪問クリニック 院長 永谷 計


褥瘡の原因は①圧迫 ②ずれ ③栄養と言われています。がんターミナルケア期では、良
性疾患の高齢者、寝たきりの患者さんとは状態が違ってくると思います。ターミナルケア期
といっても、前期、中期、後期と分ける考え方があり、その時期によっても違ってくると思
います。また栄養ひとつをとっても、ターミナルケア後期では悪液質が進み、体が栄養を受
け付けないとも言われています。今回「がんターミナルケア期の褥瘡ケアのあり方を考える」
という機会を頂き、4人の講師にそれぞれの立場からご講演を頂き、皆様と考えて行きたい
と考えています。

まず初めに、船橋市立医療センターWOC看護師 大塚眞由美先生から褥瘡とは・・・か
ら、現在の標準治療について専門職の立場からお話いただき、その後、褥瘡ケアを必要とす
る患者さんに対して病院から在宅に移行する場合の要件はあるのか?ご示唆いただけること
になっています。

次に本町在宅介護支援センター主任介護支援専門員 鈴木ひとみ先生から在宅ケアで環境整
備から介護の現場を統括する立場でターミナルケア期の褥瘡ケア患者に関して、現場でのご
苦労も含めたお話をいただけると聞いております。

そして次に在宅ターミナルケア期の現場で欠かすことの出来ない訪問看護ステーションの
立場からセントケア東京訪問看護統括係長 平野綾子先生からがんターミナルケア期の褥瘡
ケアに関して在宅ケアでの良いところ悪いところを含め、病院との連携についてお話しいた
だきます。

最後に在宅医の立場から板倉訪問クリニック院長永谷計先生より在宅と病院とのケアの違
い、ホスピス(ターミナル)ケアでの医師の考えをお聞かせいただければと思っています。
当日お会いできることを楽しみにしております。

分科会全体は、こちらで確認ください。事前申し込みは、7月31日で終了しました。お問い合わせは、hha15funa*gmail.com(*を@小文字にしてくださいね)。当日も可能です。日本在宅ホスピス協会はこちらから

2012年8月1日水曜日

尊厳死からコミュニティケアへ ケアタウン小平 山崎章郎さん

藤田敦子 大学院モードです。今回は長年、聖ヨハネ会桜町病院ホスピスで、終末期医療やホスピスケアを届けてきた山崎章郎さんに、新たに「ケアタウン小平」を作り、コミュニティケアを提供したいきさつなどをお伺いしました。


◎「尊厳死」を言わなくても、患者の意思は尊重される

小平にある「ケアタウン小平」は、21戸の賃貸住居「いっぷく荘」に隣接し、往診する医師、訪問看護師、ヘルパー事業所があり、デイサービス、子育て支援、ボランティアがいる複合施設。そこは、長い間、がん患者に終末期ケアを提供する「桜町ホスピス」に従事していた山崎医師や長谷さんたちの思いがいっぱい積もった場所だ。「ホスピスは専門家の提供にゆだねるが、在宅ケアは家族に達成感があり、一体感がある」と山崎氏は語る。そう、そこに住む人たちみんなが安心と幸せと自分の役割を持てる場所-それがケアタウン小平なのだろう。
以前、ホスピスにリビングウィル(本人の意思書)を持って患者さんが来られた時、「ここは『リビングウィル(意思書)』を提出しなくても、たえず、ご本人の意思を確認しながらしていきますから、大丈夫ですよ」と優しく山崎さんが答えて、患者さんは安心したという。気持ちは絶えず揺れていくから、その都度、本人の思いをチームで聴いて、疑問に答えて、そして家族を支えていくことが、ホスピス・緩和ケアの基本だ。
がん患者だけに提供されていたホスピス・緩和ケアの理念が、在宅に拠点を設けることで、認知症など誰にでも提供できるケアになった。安心して暮らせるコミュニティは、「最期まで、人権を守られ、尊厳と自立(自律)をもって暮らせることを保障する」コミュニティである。
もしかして、諸外国で提供されているホスピス・緩和ケアって、こういう形なのかもしれないな。キュアからケアへ―ホスピスからコミュニティケアへ。ケアを提供するチームに、ホスピスマインドや緩和ケア技術があることが、一番大事だから、私たちは、「もっと地域の中でホスピス・緩和ケアの理念」を訴えていかなくてはいけないのだ。
愛する人たちに囲まれて、自分がいたいと思える場所で、人生の幕を精いっぱい駆け抜けることができたら、どんなに幸せだろう。私たち市民が思うのは、「死」ばかりを見つめている日本の「尊厳死」でなく、「死ぬまで誇りを持って暮らす」ことを保障してほしいのだ。

◎ホスピスケアとの出会い

山崎氏は、高校3年生の時に、サリドマイドの事件にスウェーデンから医師が来日したことを伝えるテレビを偶然観て、建築家の夢を捨て、医学の道に進むことにした。2年浪人して千葉大学に入学したが、時は安田講堂事件が起こり、博士号を取らない運動も起こっていた。研究の道に挫折を感じて、大学病院ではなく、地域の病院で働くことに決め、その過程の中でしばらく船員としてのんびり働くことに決めた。捕鯨船に乗っていた1983年に、運命を変えた「死ぬ瞬間」(E.キュブラー・ロス)に出会う。『死ぬ瞬間』では、当時行っていた蘇生術をせず、家族に囲まれて死ぬことができることが書かれていた。
1985年、日本に戻った山崎氏は、千葉県の病院へ移り、精力的に仕事をこなしながら、外科病棟の看護師と一緒に『八日市場ターミナルケア研究会』を立ち上げた。1カ月に1回の勉強会やグループ討議を行い、医療者だけでなく、いろいろな人の発想が必要と感じ、看護学校に課外授業を行ったりもした。時を同じく、アルフォンス・デーケン氏が『死の準備教育』を唱えていた。
1986年、柏木哲夫氏が「ホスピスケア」に関する著書を出され、山崎氏は直感的に「これだ!」とひらめき、朝日新聞に「もっと多くのホスピスを」と論壇記事を投稿した。そして1988年、デーケン氏らと一緒に、アメリカのキューバー・ロス氏を訪ね、「安楽死を望まれた場合、どうしたらいいのか」を聞き、ロス氏は「安楽死を望むのは、皆さんのケアが少ないから」と答えている。ホスピスケアには、身体的、精神的、社会的苦痛とスピリチュアルペインが存在する。当時、スピリチュアルペインを「宗教的苦痛」と訳されていたが、「他の3つをしっかりやれば、自然とストンと落ち、スピリチュアルペインも解消できる」と教えてくれた。
ロス氏の手作りによる歓迎の宴で、クッキーも出され、山崎氏は、「このクッキーと南極の氷は、冷凍庫に入っている。最期の時に、この二つを使おうと大事に取っている」と話した。このことは、ロス氏とホスピスケアと出会いが、山崎氏にとってどれほど衝撃的な出来事だったかが伺えるエピソードであろう。

◎病院で死ぬということを発刊してから

事務をやって下さっていた鈴木さんが、30代で乳がんになり、同じく40代で肺がんになった方とそれぞれの思いを語りあったものを本に出来ないかと出版社に掛け合ったところ、主婦の友編集者木村さんから、「自分のことを書いてみないか」と持ちかけられ、何度も何度も書き直しをし、書いたものを1カ月熟成させ、そして感情を消して、原稿に仕上げていく作業をしていった。それが、ベストセラーになった『病院で死ぬということ』だった。本を出したことで教授にご迷惑をおかけしないか心配だったが、教授から「いい本を書いた」と『公認』を頂き、2刷からあとがきに寄せて頂いた。
その後、山崎氏は、聖ヨハネ会桜町病院ホスピスへ移り、日本のがん医療を変えていき、ホスピス緩和ケアを全国に広める啓蒙活動や研究を次から次に発表していった。ただ、ホスピス緩和ケアを極めれば極めるほど、何故、がん患者(エイズも対象になっている)にしか提供できないのか、診療報酬がつくようになってホスピスの理念が置き去りにされて、ボランティもいない緩和ケア病棟が作られていくことに疑問を感じ始めていった。
そんな時、大熊由紀子さんに「ホスピスの中だけでいいんですか?」と言われ、大熊さんと一緒にデンマークやケアタウン鷹巣へ行くことで、もやもやしていた気持ちが、一気に晴れ、ケアタウン小平の構想になったと言う。このケアタウン小平の仕組みで、「新ホスピス宣言」が日本全国に生まれてほしい。